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MILANO‘S REVIEW

MILANO‘S REVIEW

『テンペラ』シリーズ

『テンペラシリーズ』(秋月こお 著)

どうして今頃この話を取り上げ様と思ったかというと、

自分でも好きか嫌いかわからない、葛藤させられた本だからです。

『フジミシリーズ』を馨しいシャンパンとし
『やってらんねェぜ!』をさわやかなポカリとするなら

これは、飲みたくても沢山のめないカンパリ??
いやもっと癖のあるチンザノと言ったところでしょうか??
癖があります。(酒に弱いミラノ。でも飲みたい…)
ひょっとするとウゾかもしれない(んなもの絶対飲めないって)

1冊読むたびに

「なんでだよ~~~??」

「わからない~~~!!!」

と、グルグルのたうち回っていまして、そんなになるなら読まなけりゃいいのに
「でも好きかも…」とのめり込んでいたのでした。

ご存知ない方の為に説明しましょう。

この話は、ルビーコレクションというアンソロジーに書かれた
『テンペラ愚連隊』という短編が発端です。

美大に通う『富樫』君という、外見はテニプリ桃城で、中身はもっとガサツっぽい男の子が、同じ美大に通う、キレイな顔で女の子にも人気のある『藤野』という男と一緒に住み始めるまでを書かれているそうです。

そして、その話を今度は藤野くんサイドから書いたのが、独立した本としては最初の『テンペラ風狂伝』です。

■回りからは『絵が巧い』と思われ『女子に人気がある』と思われてる藤野朋哉は、実は、普通の絵を描くのは『全然退屈』で、エロエロ画しか魂を込めてかけないという性癖に悩んでいました。
実際の女にも男にも性的衝動を持つ事はなく、春画を描く時だけ欲情する自分に
画家の卵としても、人間としても、行き詰まりを感じており、いつも
『普通の絵を、魂込めて一枚描いたあとに死のう』と思っていました。

そんな彼が興味を持ったのは、同じクラスの『富樫義昌』。彼の絵は、技巧的には稚拙なものの、彼独自の世界と迫力を持っており、朋哉は『強い魂』を感じます。

このあたり、朋哉が、画家としてだけではなく、男としての富樫に引かれていくあたりが良い雰囲気です。
富樫も、達観しているかのような外見とは裏腹に、朋哉の技術に羨望を抱いていて、実は子供っぽいところもありました。
そして、何かと理由をつけて側に寄って来る朋哉を
「こいつ、何考えてるんだ?」と、とまどいながらも
すべて大らかに受け入れている様子に好感が持てます。


自分が富樫を好きな事に気付いた朋哉は、自分の性癖をも自然に受け入れた彼にモデルを頼み、お互いに描き合っているうち、自然に体を重ねるのでした。
それは、富樫にとっては単なる『気持ちのよい事』だったとしても、そうした彼との関係の中で、朋哉は『富樫の絵』だったら『春画』と同じように魂を込めて描けるようになって行きます。

だからさ~~、ここで1冊終わってくれればすっきりするんですよ。一応は。
なのに朋哉ってば、今度は昔の絵の先生のお兄さんで日本画の大家 のところに修行に行っちゃうのですよ。

それも、
その先生の絵が淫猥だけど芸術だったから

つまり、富樫を描くだけでは飽きたらず、相変わらず自分の絵の未来に悩んでいたのか?
それとも、(自分は好きなのに)「セフレ」感覚の富樫自身に物足らなかったのか?
その辺がね、わからないのですよ。
(あとの本で読んだところによると、『こんな自分を肯定して欲しかった』そうですが)

だって、その日本画の先生『豊川露舟』ってば
「京都に抱かれに来なさい」とか言うのですよ。



朋哉は露舟先生の屋敷に住み込み、日本画の勉強をしつつも
夜は、暗やみの中で先生に抱かれる生活を送り始めます。
しかし、実際に朋哉を抱いていたのは兄弟子の小林で
露舟は「描くことによって君を抱く」と言うのでした。

彼が今でも愛しているのは、朋哉の最初の絵の教師で
露舟の今は亡き弟、清嗣。
朋哉はモデルになることを了解し、小林によって乱れる様を
露舟の筆に写し取られて行きます。

絵的には非常に美しいシーン。なのに、今一つすっきりしないのです。
絵の道は極めたいけれど、第一に淫猥な自分を肯定して欲しかった朋哉。
弟の絵を描きたい露舟というか弟を抱きたかった露舟。

「先生!朋哉の為に呼んだような振りしながら、自分の為にも利用してるじゃん。どっちの為に京都に呼んだんですか?」(朋哉に画才がなかったらどうしたんだ)

「朋哉!お前はなんの為に『抱かれに』来たんだ!!なんで抱かれる必要があるんだ?。義昌だってお前のことは肯定してるじゃん!絵の勉強したいのならなんで抱かれなあかんねん。お前は義昌が好きなんやろ~~。抱かれて絵に魂はいるんか!!!」

と、ミラノは何度読んでもここで叫ぶのですよ。       (わからない点1)
お話的には退廃的で雰囲気あって良いのですけどね。

先に真面目なフジミを読んだせいかもしれません。
というか、フジミしか読んでなくて、一般的BLの(あまり考えないで読むという)法則を身につけてなかったせいかもしれません。


朋哉が絵を学ぶ事や朋哉の人間性を肯定する事と、先生が朋哉をモデルにする事は相容れない別々の事なのに、ここではメビウスの輪のように、ナンタラの『運河の騙し絵』の様に、
表裏一体になっていて、曖昧模糊としているのですよ。芸術には境界線はないのか??(ちょっと違うと思うが)

でも、一応、朋哉が先生に「傷ついた」と言ってるので、露舟先生の事も好きだったのかなと、
いや、この話においては『好き』という感情はそれほど深い意味をもつものではなくもっと違う意味の結びつきがあるのかとまで思ってしまうミラノなのでした。

そう考えて見ると、先生の絵のモデルが終わって、富樫の元に返る決心をしつつも、まだ小林に抱かれてる朋哉は
(モデルの時は小林を『露舟』と読んで抱かれていたのが、今度はご丁寧にも『光男さん』と本名で呼ぶことにしてるのです)
単に『退廃的』なカラダだったというわけなのかな~~と

今だこの話を読むスタンスがつかめてない私です。


それに
後半50ページの京都編だけでしっかり1冊書けまっせ~~~
(南原さんならエッチシーンを濃厚に書いて2冊にしちゃうぜ!!)
とも思いました。


■二作目の『テンペラ流浪伝』は、朋哉に去られた富樫義昌サイドの話。

朋哉が京都に行く前に毎日泣き暮らし「僕を京都に行かせないで」と行っては
酒に溺れセックスを強要して荒れていたエピソードが示されます。
(一応、予想はして苦しんでいたのね。朋哉)

朋哉が去る直前、彼も朋哉を好きだったことに気付くのですが
黙って送り出してるあたり
「芸術家のココロはわからん」と思いました。(まだ、あんなに朋哉のカラダが調教されて来るとは思ってなかったのかしら)


義昌は義昌で、仕送りがないものだからバイトバイトの生活です。
手を怪我して洗い場ができないので、(ディスコの)ホールに立たされ
(背が高くイイ体で清閑な顔つき…というすばらしい外見なので)
コナをかけて来た軽い女のコと冷めたエッチをしたりしてます。
(義昌の方だって浮気なのに、読んでて何も憤りがないのは何故??
やっぱし2人は一旦ここで切れてるって思った方がいいみたいですね。
つか浮気とか好きとかそういう物語ではないってことかも知れません)

彼は彼で、朋哉を思い、彼の母に冷たくされたり助けられたりしながら
葛藤したのか成長したのか、一応学内の『葉月展』で金賞を取る絵を描きあげるのでした。

東京に帰って来て、真っ先に大学に行き、彼の絵を見た朋哉は
迷い無く義昌の元へ帰って行きます。
『娼婦程度には抱かれ慣れている体になった朋哉』を抱いて
でもやっぱり愛してることを自覚した義昌。

次の日、今度は義昌が京都へ旅立ち
露舟が描いた絵を見せてもらいに行きます。
露舟や小林に憤りつつも、純粋にモデルとして見ている露舟の絵に画家として嫉妬よりも感嘆を覚える義昌。情人としては冷たいかもしれないけど、朋哉が納得しているのなら何も言わない。でも、もう誰にも渡さないと思ったらしいです。

(一応、小林を殴っておきました。「朋哉って呼ぶな!あいつは渡さない」って。この、小林って人も実は直江っぽいイイ男なのですよね~。)

多分私が感情移入しているのは義昌の方だと思うのですが
好きなのは朋哉です。彼は私のBL歴の中でもトップクラスの『色っぽいけど女々しくない受け』でして、それだけに、理解できない点があるのが悔しいのです。
(でも、これを書いているうちに結構理解ってきたかも)


■3冊目の『テンペラ青雲伝』は、今度は朋哉の一人称で
富樫が京都に行っている時から始まります。

父に紹介された絵画サロンに出入りするようになった彼は
ある日、自分の絵に悩む青井という男性にレイプされます。
パニックをおこして体を求める青井に、半ば同情で抵抗をしなかった朋哉ですが
事後、激しく後悔し、義昌には隠したいと思うのでした。

しかし、京都から帰って来た義昌もサロンに出入りするようになり
青井は朋哉に骨抜きになったらしくしょっちゅう電話をかけてくる。

自分が京都から帰って来た後、
ちゃんと「愛してる」と言ってくれた義昌に
裏切ったことを知られるくらいなら死んだ方がマシだと思う位悩む朋哉。
最期の一枚にと、全身全霊をかけて
とうとう納得の行くノーマル画『富樫』を描きあげるのでした。

この回は「オバカだった朋哉。だけどとうとう良い絵が描けました。富樫は包容力のある良い恋人でした」という話で。読後の葛藤もない代わりに読み返すことも少ないです。
まったく朋哉が淫乱だとは知ってたけどさ~
自分の足跡を辿りに義昌が京都に行って、多分悩んだり悔しがったりしてる時に
他の男に犯られるなよ~~~。いくら魔性の男だったとしてもさ~~。
と、思いました。


■4冊目の『テンペラ地龍伝』はもっと悲惨。
大学を中退して、絵の勉強を続けながらも働こうと(そんなムチャな)する朋哉。

そんな時、彼の父親が倒れ、朋哉は父の会社でバイトをすることになります。
社長の息子である朋哉を胡散臭く思う父の腹心と、取引先のサド社長に陥れられて朋哉は足腰立たなくなるまで痛めつけられてしまいます。
しかも、父の会社の事や、心の弱い母の事を考えるとそれを親には言えず、
その後も執拗に呼び出す彼等に抗えないでいます。
義昌も一度は彼等と対決しますが、事を荒立てたくない朋哉には逆らえず
なんと彼等が朋哉を嬲るのを同じ部屋でじっと見守る等、

今回は超鬼畜です

「なにもそこまで朋哉を苛めなくてもいいじゃない」
と、痛い痛いお話です。
義昌、大変だよな~~。エライ男に好かれたよな~。
前半、義昌に超冷たかった朋哉の家族も
とうとう朋哉が自殺未遂を起こした後は彼に頼りきり、
大学を休学させて(義昌はやめてなかった)看病してもらってます。
義昌ってば、包容力の塊です。

精神錯乱状態だった朋哉に四六時中看護してやり
何とか普通に戻した後
朋哉は、『1人で自分の絵を再構築したい』と旅に出、
義昌も旅立ち
2人は京都の豊川露舟の屋敷で自然に落ち合うのでした。

痛いところより、この辺りをちゃんと読みたかったのですけど、また後半のすっ飛ばしというか、『ザッと説明』で終わっているのが残念です。
京都で会って、事件後初めて体を重ねたらしいのですが、そこも5冊目でちょろっと説明されているだけだし、その後、山陰の方は2人で回ったらしいのに殆ど書かれていないので
「痛いのばっかし見せないで、ラブラブなとこをもっと読ませてくれ~~~」
と、欲求不満に身をよじるのでした。


この本だけ、第三者の視点で書かれています。
最初の鬼畜シーンや朋哉の悩みは義昌には語れないし
反対に朋哉の自殺未遂やその後の狂乱の様子は朋哉では語れないので仕方なかったのでしょう。

『テンペラ飛翔伝』では
少し成長した二人が、『日展』に入賞したところから始まります。
今回は義昌の視点です。

初出品で早速入選したことで、画商達の注目も集めることとなった二人ですが
悪どい画商に才能をつぶされない様に、前から出入りしていた絵画サロンの前田にいろいろ相談し、ひとまず『二人展』を開催することになりました。

展覧会には、朋哉の師匠である豊川露舟がやって来ますが、義昌(の絵)には無関心。
もともと技巧の面で劣る義昌は、『オレの絵には足を止める価値はないのか』と
ひとり悩むのでした。

朋哉は、もう一度京都で先生に日本画を師事したいと思いつつも、義昌が大学を終えるのを待って、一緒に行ってもらおうと思っています。
それくらい、義昌は彼にとってなくてはならない人になっていたのでした。

京都の二人展に小林夫妻(芸妓さんと結婚した)がやって来て
露舟とも落ち合って食事に行こうと言う時、迎合出来ない義昌は先に東京へ帰ります。
朋哉は、義昌が帰ったら急に『心細くなった』と、次の日早々と帰って来るのですが
そんな話を沢山読みたかったのよ~~と、フツーのラブラブ重視のミラノは思うのでした。

義昌は、コンプレックスを跳ね飛ばすために、絵を買ってくれるという『東京画廊』の女社長と関係をもち、『売るための絵』を描き始めます。

しかし、描けば描くほど、『純粋に自分の絵』を追求している朋哉の絵と、自分の絵との落差を感じ。自暴自棄になって行くのでした。

そんな義昌を心配して、朋哉は
「看病等で縛り付けて来た上に、今度は京都へ一緒に行こうなんて言って、
大きい画廊での仕事をつかんだ君の邪魔をしてる僕のせいだ」
と勘違いし
「別れよう」と言うのでした。
酔っている時に「別れる」と言われて逆上した義昌は
朋哉がまだ事件のショックをひきずっていて、優しく接しないと体を開けないのをも忘れ
強引に圧し掛かり、恐怖で痙攣を起こしている朋哉を自分の物にしてしまいます。
我に返り、ショック状態の朋哉に救急車を呼び
自分は実家に帰って酒を抜いて、家族に全てを話すのでした。

そこへ、朋哉が迎えに来ます。
義昌は彼の誤解を解き、自分が荒れたのは朋哉の才能に嫉妬したせいだと正直に告白するのでした。
それに対し朋哉は『愛想をつかされたのではなかった』事を喜び
彼もこれまで語った事のなかった義昌の絵の才能について話すのでした。

一応、話しとしてはまとまっています。やっぱり富樫の浮気?相手は女でしたが(笑)
この辺りの『才能』論争は、今のフジミでも繰り広げられているのですが、
やはり、芸術家やクリエイターにとっては永遠の論点なのでしょうね。



ということで、この話は、
カラダだけの男から包容力のある男へ成長する富樫義昌と
BL史上最高に色っぽい青年藤野朋哉と

怪しい日本画家、豊川露舟とその日本風屋敷と生活の美しい描写
朋哉を愛したことにより、やっと才能を開花させることができた小林(と姐さん達)

という、物凄く上質な材料なのに、満足感が今一つで、歯痒いミラノなのでした。
(まるでおじいちゃんが孫の為に調達してきた松坂牛を、私が焼いたみたいだわ)
でも、最初は富樫からは『敵』だと、胡散臭く思っていた露舟先生も

その後のルビーアンソロジーに載っていた青年時代の短編等を読むと
「大変だったのね」と、同情する気になったので
(話しが痛すぎて、とても『先生、好み~v』とまでは行けませんが)
今後、どんどん気にならなくなるかと思います。

ホントに、高いお金や手間をかけて、昔の本を集めたり、アンソロジーに載ってる外伝まで買ったのだから、この小説に対し、愛情はあるのでしょう。

振りかえって見て、確かに朋哉は色っぽいけど
『萌える~~~v』と思うキャラがあまりいないのに、ここまでのめり込んだのは、実はすごい事なのかもしれないと思ったのでした。


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